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Artist

FRANCO, KWAMY & L'OK JAZZ

Title

MINO YA LUAMBO DIAMANT


mino ya luambo diamant
Japanese Title 国内未発売
Date the mid1960s - the early 1970s ?
Label AFRICAN/SONODISC CD 36603(FR)
CD Release 1998
Rating ★★★★
Availability


Review

 ソノディスクからリリースされているO.K.ジャズのぼう大なCDには、解説がいっさい付いていない。発表年をクレジットしただけのそっけないタイトルもその意味では貴重な情報源だ。ところがこのアルバムにはそれさえない。謎の多いCDである。
 
 発表年を推定するキイはクァミーだ。かれが在籍していたのは、一般に61年から65年までとされている。クァミーは脱退後、アフリカン・フィエスタ、アフリカン・フィエスタ・スキサ、オルケストル・レヴォルシオンを短期間で渡り歩くあいだ、フランコと泥沼の中傷合戦を展開した。ふつうの感覚でいけば、かれらが仲直りすることはありえないのだけれど、70年、なんとクァミーはO.K.ジャズに復帰しているのだ。

 クァミーのカムバックを認めるようフランコの説得にまわったのはシマロだった。いっぽう、もうひとりのサブリーダー、ヴィッキーはトラブルメイカーを迎え入れるのには断固反対だった。結局、フランコはシマロの意見を容れることになるのだが、そこにはフランコとヴィッキーとのあいだに生じつつあった不協和音が影響していたようにも思われる。フランコにとって、わずか1年半でレヴォルシオンをつぶし、いまや酒浸りの生活を送っているクァミーなど、もはやまともに対決する相手ではなかったはず。むしろかれが闘うべきはヴィッキーであったと思う。それはまちがいない。

 わたしの知るかぎりでは、レヴォルシオンの音源は残念ながらCD復刻されていない。その代わり、60年代から70年代はじめに活躍した各種グループの演奏を集めたコンピレーション"MUSIQUE CONGOLO ZAIROSE VOL.2"(AFRICAN/SONODISC CD 36507)に、クァミーとソン・オルケストルの名義で69年に吹き込まれた'B.B.B.' という曲がある。この1曲だけで判断するのは危険だが、当時のクァミーの境遇を物語るかのように覇気があまり感じられない平凡な内容である。

 ここには70年代はじめと思われるクァミーの作品'SENTENCE YA''KAMALANDWA''LOLA''CELITA' の4曲が収められている。落ちぶれたとはいえ、さすがクァミー、叙情的で美しいメロディを書く。
 70年代はじめのO.K.ジャズは、美しいコーラス・ワークとフランコのギターがますますきわだって、そのぶんホーン・セクションやコンガなどのパーカッションが後退しているのが特徴。そのため、パワフルなグルーヴよりも、フランコのオクターヴ奏法のようなギターを中心とした反復的なアンサンブルが織りなすフワフワするような陶酔的なノリ。'SENTENCE YA''CELITA' は、そんな透明で重層的なハーモニーと旋回的なギターが異常に脳に心地よい名演といえる。
 'LOLA' は、O.K.ジャズのヴォーカル、シェケン'Checain' Lola Djangi のことか。ボレーロというよりエレジーという感じの一度聴いたら頭に染みついて離れない重くメランコリックな曲調。ファズがかったギターがマカロニ・ウェスタン的哀愁をさそう。この時代のクァミーの代表曲といえるかもしれない。

 クァミー作品としては、さらに'MIV AIS TEMOIN' という曲が収録されているが、これは音の感じからいって、フランコの'MINO YA LUAMBO DIAMANT''ZWANI NABALA NA MBONGO' 、ボーイバンダの'SAMBA TOKO SAMBA' 、ムジョスの'MAMA NGAI MWANA' とともに60年代なかばごろだろう。曲としては平凡。

 それにしても、クァミーの復帰はO.K.ジャズのヴォーカルとして必要だったからとは、わたしにはどうしても思えない。むしろ、かつて「ブラザー」と呼び合ったフランコの義侠心から出たものだったのではないか。クァミーの気まぐれでわがままな性格は復帰後も直ることなく、ついには家も友人も失い、いつしかシーンから消えていった。しかし、そんななかでも、かれはフランコの家に居候しながら、フランコの親戚筋で養女に迎えていた娘とのあいだに一児をもうけ、つかのまのしあわせをつかんだという。クァミーは74年に世を去った。

 アルバム後半の3曲は、上記とは作品の傾向がかなりことなる。ラストの'TALA LIKAMBO YA CATHERINE' は、陽気なルンバ・コンゴレーズで曲の感じは60年代なかばの印象を受けるが、ホーンズがいっさい入っていないことから60年代終わりごろかもしれない。
 そして、数あるフランコ作品のなかでももっとも異色作品が'LA LOI BAKA DJIKA''LE POUVOIR NOIR' の2曲である。'LE POUVOIR NOIR' 、すなわち「ブラック・パワー」のタイトルが端的にしめすように、これらは植民地時代が終わってもなおつづく白人支配に対するフランコの猛烈な抗議であり、黒人の連帯と奮起をうながすきわめてメッセージ色が濃い歌詞内容になっている。怒りのほこ先はとりわけ南アのアパルトヘイト政策にむけられているとみえ、英語圏出身のメンバーであるデル・ペドロかムセキワによる英語のコメントもさしはさまれる。曲の雰囲気もいつものO.K.ジャズ・サウンドではなくて、ゴスペル教会での説教のようだ。70年代はじめごろの録音だろうか。

 見てきたように、このアルバムは録音年代も曲調も幅が広く、寄せ集め的で統一性があまり感じられない。しかし、曲や演奏そのものの完成度は高く、O.K.ジャズ・ファンには見逃せない内容になっている。


(9.10.03)



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by Tatsushi Tsukahara